生きた証を得るために

第二の人生での再自立をテーマにブログを書くことにしました。何ができて何が成し遂げられずに残っているか、人生の総決算を書き出して新たな自分を作りたい。

2025-05-01から1ヶ月間の記事一覧

Change out from rootlessness

いつ頃私は根無し草になったのだろう。多分あの頃だ。いわゆる厨二病を患っていた間に自分の根っこを失ったのだ。あの頃は自分の根っこが嫌だった。ラジオの短波放送で米軍向けの音楽番組を聴いていて、アメリカに憧れていた。小説は翻訳ものばかり読んでで…

個を立てるか、個を隠すか

いよいよ明日72歳になる。これまで年齢についてはあまり意識して来なかったように思う。年齢を意識する必要性を追い込まれる程に感じなくても済んだと思う。38年間のサラリーマン生活で転職の経験がなかった。結婚は少し遅めではあったが31歳だったから気に…

挨拶すること

72歳になろうとしているのに今さら気づくのが遅すぎるのだが、話すことが第一で書くことは第二だというのが当たり前のことだった。ぼくは話すことが苦手なあまり書くことに注力してきた。苦手なことはできるだけ避けて得意なことの方を伸ばそうとしてきた。…

本を通じた友人との体験

そこはかとなく寂しい感じがする。若い頃は急に激しい寂しさに襲われることがあった。日常からの離脱感が寂しさの実質だと思う。あるいは間が空くことが寂しさをつくるのかもしれない。よく話し出したら止まらない人がいるが、その人は間が空くことを恐れる…

結果を求める生き方について

結果を求める生き方と、結果を求めずにやると決めたことをやる生き方とを比べた時に、今までは後者の生き方を多くの場合取ってきた。結果を求めてもほとんど実現が不可能なことでもやる事の意味を考える、という生き方を取ってきたとこれまでの自分を振り返…

Pressure of absolute beginners

捉えどころのない目の前の現実、自分に触れていてもそれが何か分からない感覚。その感覚をさてじっくり観察してみようとか、そのちょっとしたプレッシャーを楽しんでみようというような心境が芽生えてきた気がする。これは小さな微妙な変化だ。でも自分の能…

古都金沢の雰囲気と西洋文学趣味

昨日、爽やかな晴天の犀川沿いを歩いていたら、強ばった脳髄が次第にほぐれていくのを感じていた。五月の風を感じ新緑の草いきれの匂いを感じ川のいつもよりは多めの流れの音を感じ、無邪気な幼稚園児のはしゃぎ声を聞いていると、ここへ来てよかったと妻に…

源氏物語を読む日

今日仲間で源氏物語を読む日だった。先月、「宿木」の半分を読み今日は後半を読んでくることになっていた。自分達で読んできて、集まって理解したことの確認をするという風なのだった。ところが今日はあまりにもみんな読みが出来ていず、確認する域に達して…

郷土の歴史とDNA

先ほどから頭の中が堂々巡りして、考えがまとまらないのと発展しない状態が続いている。こんな時は頭の中の状態をありのままに書き出すに限る。ブログをそんな風に活用して書いてきた。まず何を考えているかを書く。地域の歴史がどのように今のわれわれに生…

時間は後ろ向きにも進む

定年後無職で毎日が日曜日の今は月曜の午後の、眠くなる時間帯だ。いつもは昼寝に入ってしまうのだが、今日はある着想が浮かんでブログを書いている。それは円環する時間という哲学的な観念について、もはや前進ばかりの時間ではなくなったという感慨につい…

三無主義からの脱却

テレビで大阪人の明るい応答や中学高校の吹奏部の元気な生徒を見ている時に、われわれの高校時代は無気力・無感動・無関心の三無主義だったと、妻と話し合っていた。時代が断絶しているのを実感した。もちろん今の時代が健康でわれわれの過去の時代が不健康…

もうすぐ72歳に

今月25日で満72歳になる。意識上では若いつもりでも、鏡を見ると年相応の老人顔になっているのにちょっとした諦観がある。がっかりした気分を何とか気力で立て直そうと力んでみる。少し生気が顔に広がってまたちょっとだけ安心する。気力が漲るとそこまで老…

書き言葉から話し言葉へ

ちゃんとしたブログを書こうとすると億劫になって、ついつい後回しになって間が空いてしまう。だからこれからのブログはできるだけ話し言葉で書くことにした。実際に話すように書くわけだけれど、話す訳ではない。その違いは決定的で話すことはあくまでライ…