生きた証を得るために

第二の人生での再自立をテーマにブログを書くことにしました。何ができて何が成し遂げられずに残っているか、人生の総決算を書き出して新たな自分を作りたい。

アジアの中の日本

9月に入っても猛暑が続いている。こちらは台風10号の被害は全くなかった。多少雨が降った程度で長雨にはならなかった。今年正月の地震も我が家は全く被害はなく、直後の街の様子も普段通りに車が流れていた。ニュースで接する状況との落差に意外な感じがしたのを覚えている。能登の被災された方々には義援金を寄付したくらいで、具体的なボランティア活動をせずに後ろめたさがある。自分の中の冷淡さがあるのを認めざるを得ないが、これまで人から助けを受けるような経験が幸運にもなく来ていることが理由だと思える。

しばらくブログを休んでいたが、実は心に期することがあった。これからの生き方としてアジアの中の日本人として生きるということだ。自分なりの戦争責任の一部なりとも負って生きたいと考えた。中国や朝鮮の民間人に対する、我々の先人が為した残虐な行為の加害者責任を一人の国民として負いたいと考えた。毛沢東は日本人民と軍国主義者を明確に分けて、前者は味方であり共に日本の軍国主義復活と闘うとした。江沢民反日政策をとるまでは、日中は友好関係にあった。私は特に陸軍が行った残虐な行為の源泉を知りたいと思った。アメリカの原爆投下も国際法違反の残虐性があるが、日本軍の民間人や捕虜に対する残虐性には陰湿な独特のものがあるような気がする。明治政府の「脱亜入欧」政策にも遠因があるのかもしれないが、自分も含めて欧米人におもねり、アジア人を目下にみる傾向がある。姜尚中が言うように、アメリカ人を何人も知っていても台湾人の知っている名前はほとんどない。オードリー・タンぐらいだ。孫文蒋介石は教科書で名前を知っているが、鄭成功は教科書にも載っていなかったと思う。中国や韓国・北朝鮮はとにかく隣国で引っ越すわけにはいかないのだ。隣同士は仲良くやっていくしかないのだ。そのことを改めて自分の心に「期した」のがぼくのrecentlyだった。