ポスト団塊世代のブログ

1968年という年は世界が一つになった不思議なエポックだった。ボブ・ディランやPPMが反戦歌を歌いストーンズもベトナム反戦のメッセージを送っていた。政治に無関心な人も時代の雰囲気に呑まれ、大学をドロップアウトして日雇い労働者になったり、ヒッピーになって一生幻想を彷徨い続ける詩人達もいたんだ、今では信じられないけれどね。

「世界で最も美しい溺れびと」読書会

読書後の感想を読書会用に前もって書いていた頃、書くことを習慣化しようという思いもあって結構頑張って書いていたなぁと、あの頃から月日の経ったのを感じた。読書会はもう8年も続いている。今日午後から8人の仲間で近くの公民館で開く。取り上げた本は、ガルシア=マルケスの「世界で最も美しい溺れびと」という短編だ。「世界文学アンソロジー」という短編集に入っていて、この本をテキストに選ばなかったら出会えない作品だ。必ずしも名作を期待して選んだわけではなく、短編が読書会にはちょうどいいと思っただけだったが、読んでみてどれも宝のような小説だった。ぎっしり人生の滋養が蓄えられていた。

かつてぼくは小説の読み方として追体験することを重視していた。その小説の登場人物の中に入って様々な場面に自分も直面するように、身を入れて読んでいた。それは高校生で初めて世界文学全集を読み始めた時の、主人公に没入して夢中で読んだ経験が忘れられないからだろう。でも追体験が上手くできる小説とそうでない小説があることが次第に分かってきた。一人称か三人称かという問題だけではなく、この「世界で最も美しい溺れびと」のように村人全体が主人公という場合もあるからだ。あえて主人公をあげるとすれば、この作品の主人公はタイトルにある「世界で最も美しい溺れびと」だろう。溺れびとつまり海から打ち上げられた死体である。

最初黒々とした塊に見えたが、海底に沈んでいたことが分かる深海にしか生えていない海藻に包まれていたり、ボロボロのシャツがサンゴの迷宮をくぐり抜けてきたことをその死体は思わせた。現代の我々だったら気味が悪くて、見つけたらすぐに警察に連絡するだろう。死体の処理は警察か役所に任せると思うが、その小説の村では子供から老婆まで総出で大切に扱いはじめるのだった。水死体は死後かなり経っていると思えるのに腐乱はまだせず、コバンザメに覆われた殻を削り落としてみると、肉体は逞しく顔を布で拭いて綺麗にすると男らしく威厳があった。まず女たちが嬉しくなって死体を飾り始めた。自分のウェディングドレスの布を使って、シャツを縫って着せた女がいた。死体の周りに女たちは輪になって、死体の男がどんなにいい男だったかを想像して、もし結婚できたらどんなに幸せだろうと言い合った。最年長の老婆が彼はエステバンという名前だったに違いないと言ったら、一度にみんな賛成した。エステバンは太陽の子という意味であり、いったん名前がつくと見ず知らずの死体が実体性を増すのだった。男たちは女たちが騒ぐのをうんざりしながらも、図体が大きいのを役に立つ真摯な人柄に感じて仲間として認めるのだった。やがて全ての村人が死体を大事に扱い、立派な葬式をしてやることになった。

物言わぬ死体という主人公は村の活性化に期せずして貢献する結果になった。そういう風にして村人が一つにまとまり発展してゆき、その村はエステバン村と呼ばれるようになったという物語ができていた。共同体の歴史を描く国民的作家、ガルシア=マルケスならではの短編であった。