生きた証を得るために

第二の人生での再自立をテーマにブログを書くことにしました。何ができて何が成し遂げられずに残っているか、人生の総決算を書き出して新たな自分を作りたい。

文学の功利

文学が人の人生にとって利益がある部分を自己確認する。人の人生というより自分の人生とすべきかも知れない。文学についても様々な分類が可能だろう。ぼくの好みがある傾向をもたらすのは当然ではあるだろうが、できるだけ「今」の日本の状況を自分なりに踏まえた上のそれ、つまり文学上の功利について考えてみたい。

まず思うのは、心の涵養ということだ。教養の持つ文化資産とされる部分だ。日本人なら「源氏物語」は外すことはできない。欧米人だったら、「ユリシーズ」や「失われた時を求めて」か?

次に思うのは、生きづらさからの解放ということだ。現実的な解放とはならないまでも解放感につながり、その文学作品の世界が居場所となり生きる指針を与えてくれるような部分だ。私は定年退職後の自分探しの時に、村上春樹の世界にしばらく住んでいた。

次に思うのは、世界と歴史への誘いということだ。自分の生きている世界の限界を空間的にも時間的にも外して、知的好奇心をエンジンにした空想を可能にする部分だ。私の親世代には戦争があり、多くの先人の犠牲の上に自分があることを思うとき、戦争ほどの悲惨はないのであって、そこに文学の回帰性とリアリズムが生きる功利性があると思う。人類の究極で悲惨からの復興に力を与えるのが文学だと思っている。

文学以外にも必要な知的資産は多くあるだろう。経済学や科学の分野にはそれこそ功利的な学びが多くあり今を生きるには大事かも知れない。ただ文学には血の通った温かさや愛があって、生きることそのものという感じがあるのである。