今が一番幸せだと思うのは何と言ってももう働かなくても食べていけることだ。このありがたみは、定年退職して時間が経過するにつれて薄れるのだが、何かの拍子にそれを思い出すことがあって、その時は改めて至福の時を味わうことができる。

今日年明けの最初の本を図書館から借りに行ってきた。借りた本は、ロープシンの「蒼ざめた馬」と、カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」と、橋本治の「草薙の剣」だ。早速それぞれ最初の数ページを読んでどれも選択に間違いのなかったことを確かめてから、最初に「草薙の剣」を70ページぐらい読んだ。この小説の一番いいところは、登場人物が普通の人だということだ。ほとんどの小説は主人公が特別のどこか変わった人物か、英雄か、悪党か正義の人か、絶世の美女か、飛び抜けた才能の持ち主かだったりする。この小説には特別の人は登場せず皆ほとんどの読者と同じ位置にいる。ああ、自分と同じだと思える小説に巡り合えるとそれだけで幸せになれるのだが、さらにちょっとだけ自分の方が上だと思えるとそのちょっとの差が幸福感をもたらせるのだ。他人の不幸は蜜の味という言葉もあって、まことに人間は親切で温かい心がある一方で卑小である。ぼくはしばし本を置いて、今の自分が幸運に恵まれてきたことを実感できて満足感に浸っていた。このような読書は決して自慢できるものではないが、読書の効用のうちに数えてもいいかもしれない。