何か書きたい衝動を感じる。今世界で起こっていることに気持ちが動かされることは仕方がない。ただ騒がしい変化の動きに突き動かされている自分にうんざりしてくる。何か自動的に反発して、裡にこもりたくなる。それは幾分甘味な雰囲気をともなう。粗野な現実から逃れて「美の世界」に潜り込みたくなる。あるいはどうしようもなく叫んで、観念の爆発を仕掛けたくなる。清水幾多郎は名著と言われる「論文の書き方」において、書くことは観念の爆発だと述べていた。爆発というほどに煮詰まってくるから、書く動機が生まれるのだ。
今のぼくの場合はどうだろうか、自分のvoiceに聞いてみる。雪崩を打つように歴史的な流動がトランプによってもたらされている。十分考え抜かれている印象を持つのに、ほとんどのプロのコメンテーターは何をしでかすか分からないという、とぼけた評価をしているようにぼくには見える。彼は信念に基づき行動している。自分の権力の使い方に精通している。誰もが引きずられ動かされる。だからぼくは反応する自分に反抗してみたくなったのだ。書くことで圧倒する力に対抗してみたくなった。ほとんど無意味で無力で自分のこころしか救えないのだが、それでもそれで十分なのだ。
圧倒的な力に対抗できるのは、法の力ではもはやなく、芸術の力だと思う。美の力を生み出す時だと思う。かつてアンドレ・ブルトンがシュール・リレアリスム宣言を出したように、詩人や画家や思想家が歴史を画する宣言を出してくれないか。