生きた証を得るために

第二の人生での再自立をテーマにブログを書くことにしました。何ができて何が成し遂げられずに残っているか、人生の総決算を書き出して新たな自分を作りたい。

書き言葉から話し言葉へ

ちゃんとしたブログを書こうとすると億劫になって、ついつい後回しになって間が空いてしまう。だからこれからのブログはできるだけ話し言葉で書くことにした。実際に話すように書くわけだけれど、話す訳ではない。その違いは決定的で話すことはあくまでライブであって、話し言葉は話す先から消えてゆくことになる。書くから固定するので書くとライブではなくなる。このライブ感は今まで意識することはなかった。話すと瞬時に相手から応答が来る。思わぬ反応や思わぬ質問が来たりする。いやいやこちらが話しかけるのに全く無反応だってあり得る。無視されたり話をそらされたりもする。

ぼくの話し嫌いは、この無反応や故意のはぐらかしや思いがけない非難や揶揄に出会ったことがトラウマになっているかもしれない。また高校時代からの現実逃避の根強い気質が影響していると思われる。そういう自分を変えていきたいと最近思うようになったのは、現実のぼくの環境が好転してきているからかもしれない。コミュニケーション下手が改善してきているのかもしれない。ようやくにしてぼくもまともな人間になったということか。

種明かしをすると英語の学習で、改めて英語は話せなくては意味がないとわかったからだ。英語が読めても英語ができると思われないが、英語が話せると英語ができると思われるのだ。あくまで話すことに現実的な価値があることに心底気づかされた。英語で話す気が起こらなければ英会話は身につかない。ではどうしたら話たいと思うようになるかは、実は日本語でも一緒で、日本人なら話たいと思うときは頭は日本語で考えているはずである。日本人が英語で話たいと思う時はアメリカ人が話たいと思う時と違う。この違いの構造がクリアに理解し納得し体に染み込ませなければ、日本人は英語が話せない。この動かし難い事実に直面したことが、話す自分に変わらなければならないと決意した理由だ。