定年後無職で毎日が日曜日の今は月曜の午後の、眠くなる時間帯だ。いつもは昼寝に入ってしまうのだが、今日はある着想が浮かんでブログを書いている。それは円環する時間という哲学的な観念について、もはや前進ばかりの時間ではなくなったという感慨について書いておきたいと思ったのだ。もう若くはなく、半分以上人生を降りている男の日常について、ポジティヴ思考で表現してみたい。時間は前進ばかりじゃなく後退にも流れる。前進に価値がある表の人生が黄昏る時、後退にも価値がある裏の人生が拓ける。表は目に見える世界で、裏は目に見えない世界だ。星の王子様の中でサンテグジュペリは、本当に大切なことは目に見えないと誰かに言わせていた。
ある日、いつもと何も変わらない夏の昼下がり、これから何をしようか、何がしたいのか将来を考えあぐねていたら、突然に何もしなくてもいいんじゃないかと腑に落ちる瞬間が訪れた。これまで何かに背を押されて進んできたが、もう誰も背を押すものはいなくなった。別に変人に思われたって構いはしない。法律を犯すような反社会的なことをするのでなければ、常識を少し外してもこれまでやって来なかった事をしようと思った。そうだ、時間を逆に進んでみよう。自分の過去を現在から逆に遡って、通ってきた道を自分の歩いたようには歩かずに、可能性として別の歩き方をしてみようと思い立った。
定年退職したての頃、普通に街を歩いていて周りの人間はみんな働いているのに、自分だけ全く無関係にいるのに驚愕した覚えがある。全く無目的で無用な男がこの街に投げ出されている。それは夏の昼下がりで妙に静かだった。ジョルジュ・デ・キリコの形而上学的な絵の世界とそれは通じていると思えた。

いつもと変わらぬ日常が時間が止まることによって別次元に飛躍するようにそういう瞬間がある。それからというものぼくは、時間を後退する世界にも生きることにした。