結果を求める生き方と、結果を求めずにやると決めたことをやる生き方とを比べた時に、今までは後者の生き方を多くの場合取ってきた。結果を求めてもほとんど実現が不可能なことでもやる事の意味を考える、という生き方を取ってきたとこれまでの自分を振り返って思う。おそらくすぐに結果が出ることにあまり興味を感じなかったからだと思う。
ところが、問題を解決するところに多くの場合意味がある。問題が解決できて結果が出ると快感を得るように人間はできている。いつまでも結果が出ないことに普通はストレスを感じてしまう。
なぜこんなことを今考えているかというと、昨日、有名なガンジーの非暴力についてのNHKの番組を見ていて、結果を求めない戦いが非暴力の戦いなのだと紹介されていた。南アフリカでアジア人登録法に不服従で抵抗する運動の中でつかんだ方法だった。抵抗すれば投獄されるのは分かっていたし、実際にガンジー自身も投獄された。しかし抵抗には真実があり義務なのだと自覚されるインド人が次から次に運動に加わり、監獄は一杯になりついにアジア人登録法を撤廃させた。投獄される結果は分かっていても、運動を止めなかったのは真理や愛という普遍性の力を信じたからだった。
もちろん、アジア人登録法の撤廃という結果を求めていたのは間違いないが、その見通しがあって抵抗を続けていたわけではないだろう。最終的なアジア人登録法の撤廃という結果を獲得するまでは、いわばずっと負け続けるわけで結果が出るまでの長い道のりがある。途中で止めれば敗北という結果で終わるが、止めなければ最後には勝利で終わる。
結果を先に言えと言われることがある。アジア人登録法は1907年に施行されてしまう。登録に抵抗すれば投獄される。とすれば、投獄されても登録はするな、という結論になる。不条理な法に反対せよということは、投獄も覚悟せよということだ。
実を言うと結果を先に言うのは、英語の語法であってそれに慣れることが英語習得の肝だと自覚されたことがあった。究極を考えてみたが、自分が正しいと思うことをやるにはどんな結果も引き受ける覚悟が必要ということだ。