そこはかとなく寂しい感じがする。若い頃は急に激しい寂しさに襲われることがあった。日常からの離脱感が寂しさの実質だと思う。あるいは間が空くことが寂しさをつくるのかもしれない。よく話し出したら止まらない人がいるが、その人は間が空くことを恐れるあまり延々と喋り続けるのだと思う。
今気づいたが、書き始めたら寂しさが少し消えている。書くことで意識が活性化したのだろうか。つまり動き出せば寂しさを回避できる。私は友達は少ない方だが、知り合いは年金生活者としては決して少なくはないと思う。毎日何がしかの用事があって外出している。大概は本を借りたり返したりで三か所の図書館に通っている。今日その一か所の図書館へ行く途中に、自衛隊の駐屯地前を車で通る時に雑草を刈っている隊員を見かけた。いずれも中年過ぎのややくたびれた顔をしていた。
寂しさはぼくの身に染みついた特性かもしれない。決して自慢できることではないが、それがなかったら本に親しんだりブログを書いたりはしないはずだ。それは一人の人間としてハンデキャップであると同時にアドバンテージでもあるだろう。身近に友達は少なくても本を通じた友達は多くいる。

昨日本棚から何気に手に取って拾い読みしてみたら面白かった本があった。「ハルキの国の人々」という村上春樹の解説本だった。小説の登場人物を一人づつ解説していて、それは村上春樹の熱心な読者にとっては友達の再会のような感じだった。直子やキズキや五反田君や鼠や羊男やユキ、双子、ユミヨシさんなど、友達というよりは危険人物ばかりだ。現実には生活していない人物を異空間に生きさせて造形する筆力がすごい。それぞれ寂しさを持っている人物だが、「ぼく」は寂しさを通り越して死から辛うじて生還する。そこが救いなのだろう。「ぼく」は最終的にはラッキーな男だし、小説の読者の一人であるぼくも長い旅から帰って来れる。