研究者ではないので詳細には分からないが、ドイツはヒトラーを自ら裁いてヒトラーのような独裁者が二度と現れないよう法律を作ったのに、日本は東京裁判を受け入れるだけで、なぜ自ら軍人の独走支配を裁くことが出来なかったか、この疑問が解けないでいる。
あくまで文学的な直感ではあるが、ドイツの国民は自分の中にヒトラー的な性格を認めて、自分にもあるヒトラー的なものを分析していったと思う。対して日本の国民は当時の軍部の独走を自分にもあるとして分析できていないのではないか、と仮定してみる。
例えば、総力戦研究所で日本の敗戦を正確に予想できたにも関わらず、軍部はデータを改ざんして科学的な分析を反故にしたのはいったい何なのか?合理性より主観的な願望を優位に置く精神性の根拠となるものは、自分の中にもあるのだろうか? 決して科学的な分析やロジスティックなシステム思考が出来ないわけではなかった。そのような思考力を暴力で排除しようとする精神性が問題となるし、自分にもあると前提しなければならない。
かつて左翼小児病にかかっていた自分からすると、軍国主義は敵で非合理と暴力支配を自分に認めてしまったら負けだと思っていた。なんて馬鹿な奴だろうというくらいに思っていた。しかしそれでは自分は歴史的に身体性を持つ日本人ではなくなってしまう。自分の中の軍国主義的なものを認めてそれを暴き出さなければならないと考える。そうでなければ徹底的に法律で裁くまでに具体化できないと思う。例えば、反ヘイト法を作ったように反軍国法みたいな法律を作るべきだと思う。