生きた証を得るために

第二の人生での再自立をテーマにブログを書くことにしました。何ができて何が成し遂げられずに残っているか、人生の総決算を書き出して新たな自分を作りたい。

定年後の fragile matter

現実に自分を知る者のいない空間に向けてこのただ何の目論みもなく書くことが、することもない日常にほんの僅かな活動感をもたらす。素性を表すことに意味がないという無情でフラットで自由な無関係が何処となく好ましい。単なる言葉遊びか、そうでもないか、私はこの時代に向けた表現者だ。仕事などかれこれ10年以上していない。社会的には役立たずではあろうが気にすることはない。こんな人間だって大いに生きる権利はあるのだ。書いて書いて書きまくればそのうちに自分というものが見えてくる。10年前は私も人かどの定年退職者の一人として、することもなく苦しい思いをしていた。毎日決まった時間にコンビニにコーヒーを買って駐車場で飲んでいたら、店員に顔を覚えられてしまったこともあった。ああ、今日も来たという顔をされたような気がした。それから別のコンビニを次か次へと転々とすることにした。

何をしたいかを見つけるのに、子供の頃にしたかったことを思い出すという方法があると何かで聞いた。子供まで遡らず、したかったことに拘らずに考えて思いついたのは、高校時代に遡って好きだったH子のことを徹底的に何から何まで再現してみようということだった。一人の女性をこれまで出会った中から選んで、集中的に思い出してみようという些か文学的な実験だ。回想の力を試すのだ。H子は同級生だから同い年で、多分存命のはずだ。H子の従兄弟と付き合いがあって、今から9年前に彼から電話番号を聞き出して携帯に電話したことがある。懐かしい声だった。事前にその従兄弟からH子に私から電話があることを知らせてもらっていたので、驚きはなかった。H子の父はその前年に亡くなられていた。残されたお母さんの介護のため、入所施設に介護マネージャーとして就職して世話をしていた。私も数年前に父を事故で亡くしていた。お互い同じような境遇で介護の話で盛り上がった。

高校時代を懐かしむ余裕が電話ではなかった。高校時代のことはメールでやりとりすることにして、お互いのメールアドレスを交換した。それから1年ほどのメールでの文通が始まった。メールの方が電話より自分の意思を伝えやすくて私には良かったのだが、H子は電話で肉声を聞く方を好んだ。確かにH子の声は時に低く直に私の鳩尾あたりに響いた。まずメールでは、なぜ今電話をすることにしたのか説明する必要を感じた。今からその時何を書いたか具体的に思い出せないが、要するに私は無性に自分を取り返したい思いに取り憑かれていて、H子の協力が欲しいという趣旨だったと思う。私は妻との結婚が32年続いていた。今から思えば、自分を取り返すのに妻ではなくH子だったのか、H子より妻との結婚生活をまず振り返ってみるべきだったかもしれない。H子は私より結婚が早かったはずで一人息子は結婚して独立しててもおかしくない年齢だったが、未婚で同居しているとのことだった。私と妻との間に子供ができなかった。

ここまで書いてきて妻のことが気になってきた。私はどうして一人の女性を選んで回想するというのに妻を選ばなかったのか?何となく妻は別だという意識がある。妻はあまりにも現実のことなので回想には不向きなのか、しかし彼女とのこれまでの付き合いにももちろん積み上げられた生きた足跡があるはずだ。にもかかわらず、H子だったのはH子があくまでも私には非現実的な存在だったということだ。あり得ない過去を美化して回想しようとしたのだ。いやもっとはっきりと書こう。私は26の時、H子に結婚を申し込みフラれたのだった。あの時が自分の人生にとって最悪の底に落ち込んだ時期だった。その時の自分があまりにも惨めだったから、その自分を定年退職して有り余る時間を使って救い出したかったのだ。そのために再度、H子と接することは心の底から望むことだったと思える。

現実には30歳で今の妻と結婚することで私は妻に救われていた。彼女ほど善良な温かい心を持った人はいない。結婚前のデートの時、一緒にボーリングをしたことがあった。その時のストライクを取った彼女の喜び様の純真さに私はうたれた。私は突然何かの拍子に彼女のことを思うと涙が込み上げてくることがある。特に何かがきっかけになっているわけではなく、彼女の心を思うと泣いてしまうのである。その涙によって私は実際には救われたのだ。ただ自分の力でも、ということは書くことによってあの頃の自分を救い出したかったのだと思う。定年を機に自分を書くことで違う人生を作りたかった。