第二の人生から第一の人生を改変する

自分の人生で何ができて何が成し遂げられずに残っているか、人生の総決算を書き出して新たな自分を作りたい。

ある緊張のために

この眠気を捻り潰してしまうために詩を書く

脳髄に巣食う弱気に喝を入れるコトバ

そんなチカラが実際にはある

だから詩なんていう必要はない

生理的に動きが言葉に促されるという非詩に

芸術などはいらない

そんな高尚なものはぼくには眠いのだ

決意とか韜晦とか断念とか飛躍とか

よく女からは覚悟を問われた

その強制力に昔は騙されそうになった

ぼくには無があった

君はずるいと言った

ハハアナタハオトコニシットシテイル

歴史に形而上に戦闘に切腹に男は熱を持つ

銃口にジャスミンなんて安っぽい愛じゃないのか

ぼくは覚悟を問われた時一人じゃなかった

君には分からない種別の女がいて

静かにぼくを待っていた

砦に立つインディアンや自爆テロリストのように

ぼくは同胞を想って泣く

それはぼくに立ちはだかった女から

最も遠いものだ

ここまで来た、定年後の今

昨日、私が属する読書会のホームページを作成してアップした。13人映っている。室生犀星の「幼年時代」の合同読書会を開催した時の参加者である。一人欠席で実際は14人の野々市市読書会連絡協議会メンバーだ。この日は自分にとっては感慨深いものがある。やっと自分達のホームページを持てたのだ。トップページの写真を何度見ていても飽きがこない。それぞれのメンバーの表情に人生の歴史が詰まっていて、今はそれぞれ幸せそうだ。私の定年退職した当初は、何をしていいか途方に暮れていた。10年ほどかかってここまでの仲間ができたというか、仲間入りをさせてもらった。メンバーとしては私は加入した若い方から5番目だ。先輩の方が多い。先輩の方々は実をいうとSNSには馴染みがない。会は会員を増やす手立てを取って来なかったので、自然消滅する運命になっていたのを幾分若かった私が手立てを考えるようになった。赤いシャツの方は次期市長選に立候補を考えているような、元大学教授である。私もこれからの会の運営が楽しみになり、張り合いができている。

 

https://commonway.amebaownd.com/

 

何のために詩を書くか

四方田犬彦の「詩の約束」という詩論に、「詩は自分を救うために書いた」と記されていた。自分を救うため、というシンプルな目標が自分に刺さった。そうか自分を救わなければならなかったのか、と反射的に思った。翻って私は自分を救わなければと考えたことがあるか。あったかも知れない。でも今は多分考えていないのではないか。自分を救うにはわざわざ詩を書かなくても、自分を変えればいいと考えているような気がする。自分を根本的に変えることは出来なくても、自分に対するイメージを変えることは容易いのではないかと思っている。仏教が示すように自分を捨ててしまえばある意味簡単に救われる。むしろ私は簡単に自分を捨ててしまえる方に悩みを感じる。私はテレビドラマが平均的な視聴者向けに作られていて、そこに描かれている人物が平均的な大衆だとすると、私は家族や友人に対して極めて薄情な人間に思える。大衆に入り切れない非人間的な冷たい人間に思える。もっと正確にいうと、考えたり言葉の上では温かい感情を持つが、実際にそれを人前で現すことができない。極端にシャイなのかも知れない。両親に対しては申し訳ないほどに冷淡で距離感がある。大人しく優しい子供だったように見えるかも知れないが、親に感謝したり親を尊敬したり、言いつけを守ろうとしたり逆に強情に反発したりしたことがない。そういうことを思い出せない。どうしてだろう?虐められたりしたことがなく、くやしかったりとか裏切られたりというような深い関係にそもそもならなかった。公園で年上の不良たちに捕まって、金を出せとか言われても全く相手にしなかったので変に思ったのか、絡まれなかったことが思い出された。私は友達がいなくてその時も一人だったが、全く関係がないように感じさせたのだろう。生意気だったのとは違ってそもそも子供らしくなかったのだろう。あるいは、今書いていて思ったのは、私には周りとの関係性を感じる能力に欠けていたのかも知れないということだ。三人兄弟だったが、いつも一人っ子と思われていた。それはそれで救われるべき人間だったのではあるまいか?

リアルな読書体験

四方田犬彦を知っていくつかの著作を読んだ。読んだ順番に「歳月の鉛」「ハイスクール1968「すべての鳥を放つ」で、前二つは1968年高校時と1972~1978年大学から大学院時代のそれぞれ自伝的エッセーで、後の著作は著者唯一の小説だった。小説も事実を踏まえているのでリアルであった。でもリアリズム小説ではなく、夢や幻想場面も織り込んだ壮大な自伝小説であり、私には抜群に面白く追体験ができた。何しろ白ヘルの1972年横須賀母港化反対闘争時には当事者として私もそこにいたので、映画でいうとエキストラの一人として登場していたことになる。あの時金沢から上京して夕方からデモになり解散近くになると、何故か旗持ちが少なくなり後部にいた私にも旗持ち役が回ってきた。小説の中ではその夜敵党派への襲撃があったように書かれていた。そのことは初めて知ることであり、ひょっとして旗持ちがその襲撃部隊に回っていたとしたら辻褄が合うことになる。これには改めて衝撃が走った。もう半世紀以上も前の事になるが思い出すと全然色褪せていない。当時私は19歳で自分の周りに危険が及ぶという認識はなかった。しかし当時の東大ではすでに陰惨な状況が出現しつつあった。小説になってそれを読むことでリアルさが増すことが分かった。「すべての鳥を放つ」の読書体験は私には特別のものになった。

  

 

四方田犬彦「ハイスクール1968」を読んで

評論家の四方田犬彦氏が室生犀星についての講演を金沢の記念館でしていたということを最近知って、興味を持った。四方田犬彦氏はサブカルチャーの研究家として私は名前を知っていた。比較文学を主とした研究者だが、室生犀星について評論があるのに少し意外感があった。私はかなり前に彼が学生運動の経験があって、小熊英二の「1968 若者たちの叛乱とその背景」を罵倒するように批判してたことを知っていた。四方田犬彦氏には「ハイスクール1968」という著書があり、当事者として学生運動の経験のない小熊英二の研究そのものの欠陥を突いていた。小熊英二の研究には当事者への取材がまるでなかった。「当時を直接知らない著者が、当時のビラから雑誌記事・コメントなどまで逐一あたって」叛乱の背景と意味を検証した、と説明されているが、学術的研究が取材をせずに成り立つものだろうか。

それはさておき、四方田犬彦氏は私と同い歳だった。つまり全くの同時代人でありあの騒乱の熱い時代を生きた人間に属する。多くは団塊の世代が学生運動を語っていて現在73歳の世代は「1968年は高校生」だったという違いがある。四方田犬彦氏には東京教育大附属駒場高校校舎の一部をバリケード封鎖する闘争の経験がある。しかしそれは未完に終わって中止の決定を知らされなかったという経験だった。そのことがずっと尾を引いたらしい。

私は「ハイスクール1968」を読む前に、黒井千次の「春の道標」を読んで久々の高揚した読後感を持った。「春の道標」も高校生の青春を描いたもので、時代は1968年よりひと世代前ではあるが、三鷹事件に関連して学生の政治運動が盛んな背景も描かれており、私は自分の高校時代の雰囲気を味わいたいという強い欲求を感じた。四方田犬彦氏と私では経験の中身には大きな違いはあるが、文化的な雰囲気を共有することはできた。四方田犬彦氏は詩の制作でブルトンやロートレアモンやブランショなどの影響を色濃く反映されている。その受肉された感性に学生運動の波も入り込んでいる、という感じで政治的な活動家とは距離があった。ただ反日共系の全共闘とは同じシンパシーを抱いていたことは確かだった。私はといえば、詩からの接近ではなく、居場所探しという精神的な飢餓からの接近だったと「ハイスクール1968」読後に感じた。あとマルクス主義に関しても私の方がナイーブだったと思える。

 

定年後は謙虚に機嫌よく

私は過去のうちサラリーマン時代の自分を許すことが出来ない。私が勤めた会社では、仕事をさせる側とさせられる側に明確に分かれていた。管理する人間と管理される人間に分けられ、前者は利益を優先的に配分され、後者は細かく等級分けされた基準に従って差別化された給料を与えられる。生まれながらの身分の差はないが、会社に有益かどうかの成績評価で能力を査定されて等級化される。人格的な差別は建前上しないことになっているが、実際は人格的な差別をされる。そう言う意味では会社は能力差別社会だ。細かな所得差別による所得身分差別社会である。つまり金によって等級化された、上下関係の網の目に組み込まれた上意下達の稠密な組織社会である。これで息が詰まらない人間はいないはずだ。こんな窮屈な身分社会で38年間も生きながらえてきた屈辱の人生を自分の人生とは認めない。

今ではプライベートなことはあえて言う必要がないので、「出自」を隠すことができる。定年退職者は昔の肩書きに縛られない自由な生き方を求められる。むしろ役員や部長などの肩書きから、無意識に他人を上から目線で見てしまうのに気づかれると、だんだんと敬遠されていく。知り合いに役員だった同い歳の男がいたが、だんだんに人が寄り付かなくなり今では筋肉が衰える病気にかかってほとんど寝たきりになっている。度々誤嚥性肺炎にかかって満足にものも食えない状態になっている。

定年後は謙虚に機嫌よく生きられる男は歓迎される。私はそういう男になりたい。

芸術と人生という問題

芸術といっても文芸のことだが、文芸と人生と書いても座りがよくない。あえて芸術と書くとなんだか格調が出る。この格調は自分を高めてくれそうである。この格調に乗っかって文章を綴りたくなる。それをまたブログに上げることで何かを表現しているような気になる。しかし、これらは自己欺瞞である。ついついのぼせてしまっている。自分はただの人で社会的には無力の、ほとんど存在さえしていない人である。そんな自分を私は棚に上げない。自分のことは棚に上げて無名で無責任な、正義漢ぶった言いがかりをしたりはしない。それだけは無名な人間の矜持だ。

ところでそんな自分が目指すのは、芸樹と人生の一体化である。芸術を生活レベルで楽しんでいこうという、一種の趣味人の生活を目指している。例えば詩人だとか俳人だとか作家は社会的に認められた趣味人でプロである。私はプロになりきれない一生趣味人のままの人間だ。その辺りの事情は、竹久夢二の生き方にも現れていた。彼は立派に名前が残っているからプロといってもいいのだが、本人は職業的な詩人、作家、画家には遂にならなかった。竹久夢二の美人画は絵画的達成を意識してない。大正の時代的風情の中に埋もれることを自身に課していたと思える。

最近、室生犀星を読むようになって少しづつ生き方も知るようになったが、彼は作品も作家としての交友関係もかなり広い。晩年には自分を冠した賞も自費で作っている。自ら選者となっているから、自分で自分の影響者を増やす押し売りをしているようなものだ。自分の詩を解説して評価してくれる伊藤信吉、弟子筋の中野重治や佐多稲子、新人の富岡多恵子、実業家でもある辻井喬などに受賞させている。富岡多恵子やあの谷川俊太郎にハガキを出している。貰った方はありがたがって大事に持っていたそうだ。もう名が知れた作家なのだからそんな振る舞いも許されるのだが、それはぼくには芸術的人生のように思われる。

松尾芭蕉は、おくのほそ道で人生を「旅」と観じ、自己の生活を芸術と化した「風狂」の姿を示す紀行文を書いたという解説があった。松尾芭蕉も芸術と人生の一体化を生きた偉人である。「風狂」の精神は日本の伝統の重みがある。旅という空間に一体化の場所があると思える。全くの凡人でも旅に出て芸術家になる要素が潜んでいそうな気がする。

みんなの室生犀星

何かの活動をしていれば他人と関わることが避けられない。当然自分の思う通りには事は運ばないこともある。他者をコントロールすることは基本的に出来ない。他者を巻き込んでいかなければ活動を維持することが出来ない。どうにもならない要素を含んで活動することで、ストレスが生じる。自分の出来ることに焦点を当てるしかない。止めることも選択肢の中に絶えず入れておくべきだ。結果に責任を負う以上は、自ら身を引くことも考えておかなければならない。私が計画した室生犀星講演会に20名以下の参加者だったら、それを考えておこう。大切なのは、室生犀星の文学がわれわれの仲間に受け入れられ、愛されることだ。現代に生きるわれわれが室生犀星から大いに慰められる経験を持つことが大切なことである。

本が友達、の人生

なかなか自分のことは分からない。今日、NHK ONEで「団地のふたり」を見た。小中学校が同じでその後別々の人生を歩むが、50代で実家のある団地に戻り中高年ばかりの団地での生活が始まり、二人は毎日会うようになる。毎日が少女時代に帰ったような暮らしをするドラマだ。それを見てぼくは久しぶりに落ち込んだ。今更ながらではあるはずなのに、ぼくには友達がいないことに気づいた。友達のいない人生をずっと送ってきた。このことがぼくの人格を作ってきた最大の要因だ。薄々気づいてはいたが、はっきり自覚したのは今日が初めてかもしれない。自分の真実に気づいてしまった。友達がいなかったから、本が友達だったのだ。

等身大の目標

昨日のブログで自分の未来を引きつけるには、等身大の目標を掲げるのでなければ実現しないことが分かった。詩人になる、はまだ今の私には身に余る。具体的に実現具合が計測できる目標でなければ、達成度合いが分からない。但し、自分を奮い立たせるパワーは持っているので、熱量はこもっている。私が出来るのは文学作品を読むことだ。日々行っているこの行動を原資とした実現目標でなければならない。やはり、そうすれば現在の私の公的なポジションである、地域読書会の運営マネジメントということになる。私は現在野々市市の「野露」読書会の会長である。この現在の位置をどこまで上昇させるかが目標でなければならない。