第二の人生から第一の人生を改変する

自分の人生で何ができて何が成し遂げられずに残っているか、人生の総決算を書き出して新たな自分を作りたい。

ニヒリズムの克服

以前哲学に興味を持っていた頃、ニヒリズムの克服はニーチェ、サルトルの大きなテーマだった。今日、あることから他人にむやみに恥をかかせないという仏教の教えを思い出すことがあり、それはまたニヒリズムの克服になり、私は既に自分にその回答を与えていることに気づいた。私はサラリーマン時代に社長の不用意な言葉に傷ついて、唯識思想に出会って立ち直った経験がある。唯識思想を知って、菩薩として生きるという誓いをその時に立てたのだった。菩薩として生きることは、ニヒリズムの克服につながるということを今日気づいた。

以下は、過去のブログで同じようにニヒリズムの克服について書いていた。

hibinosyoh.hatenadiary.jp

初恋の相手を思い出す

日暮年男はひとり駐車場に車を停めて、なぜ長い間シートに寝転んで空を見つめていたのか。彼はつい最近思い切って高校生のころ初恋の相手だった彼女に電話していて、彼女への追憶に身を沈めるように、感情を再現するようにしていたのだった。何もすることがないのなら馬鹿げたことと思いながらも、それを止めようとはしなかった。彼女は今、吉祥寺に母と同居して、もう成人となった長男とピアニストの夫と4人で借家に住んでいた。父は昨年認知症を患って施設に通いながら自宅で亡くなっていた。父は食べることを拒否して最後には餓死寸前まで自身を追い込み、ほとんど自殺するように死んだらしい。 日暮は一度だけこの彼女のお父さんとあったことがある。今、この文章を書いたら、「日暮」という名前がふさわしくないことに気づいた。いかにも初老を思わせる名前だと若い頃のことを書くのに違和感がある。だから名前を変えよう。気づいたらすぐに実行するのだ。これは小説修行でもある小説だ。年齢を感じさせる名前ではなく、もし私の知り合いがこれを読んだら何となく推測できる名前が面白くていいだろう。不二喜という苗字にする。年男は俊夫としよう。不二喜俊夫だ。なかなかユニークで印象が強い。不二喜は一度だけこの彼女のお父さんと会ったことがある。金沢の錦町の彼女の自宅前でちょうど玄関から出て来て、不二喜少年を認めてすぐに車に乗り込んだ。挨拶する間もないほどだったが、できないこともなかった。巨漢というほどでもなかったが不二喜少年にはそう見えた。彼女は紹介しようという意図はあったのかなかったのか分からなかった。同級生くらいは伝えていただろう。大江健三郎を読むような文学少年くらいまで話していたかは分からない。大柄な父は林野庁の出先機関の組合幹部だったから大江健三郎の政治性にも知識があったに違いない。

61歳の暇な男

少なくとも凡庸であることだけは避けなければならない。簡単に結果や結論を出してもだめだろう。今あるものを書いていこうとする時に、書こうとする者の意欲があることが感じられる。それを君と呼ぼうかぼくと呼ぼうかを考えてみる。君の方がひらけていく感じがする。君はなぜ書こうとするのか。書くことで何かが出来上がってくると思える。書いていると何かをしている手応えがある。何か特別のような感じがする。君は何を生み出そうとするのか?いや、ちょっと間違ってしまった。君は書く方じゃなくて、書かれる方だ。ややこしくなったがここはしっかりしておかなければならない。君は今書かれていく主人公なのだ。君がひとり車の運転席にシートを倒して夏の空を眺めていた時、同じ空を誰かも眺めているはずだと想像して、日がな追想の糸を伸ばしていたことがあった。その頃の君が今思い出されて愛おしくなった。その時の苦悶の一日がその後の危機の、大胆な思いつきの実行につながったのだ。

誰かをまだ言わない。でも追想の果てにある誰かを徐々に描いていって生きた人間にしなければならない。ここで女と描いてしまったら凡庸になるだろう。しかしまず人間であり性別が女性であることだけは書いておこう。源氏物語や室生犀星が小説に書き上げた世界の中心や背景に女性が強くいたことは事実として否定しようがない。そのエネルギーを私も踏襲することにしたい。今、不用意に私と書いてしまった。私が登場してしまっていいのかまだ考えられていない。登場するのは控えたほうが君を描くのに広すぎない限定を与えていいと思える。物語には君と女性が登場するというだけで書き始めたい。

君はまだ名前がない。もちろん彼女にも名前がない。名前を書くと一挙に現実が現れる。夏目漱石は猫から書き始めた。名前がないだけでなく人間でもなかった。猫から見た人間世界を書いていた。猫は現実に書くことはできないから、書く側には立てない。いや、猫が書いた小説というのもありだろう。しかし猫が人間のように書いたら不自然になるのではないだろうか?猫のような感性と言語能力で書かなければ小説のリアルさは担保されないだろう。

さて君はまだ生きていない。存在はしているが年齢が明かされていない。少なくとも君は車の運転ができる大人だ。かなりの大人だと思える。なぜなら追想していてしかも日がなすることもなく無為の状態で苦しんでいた、ということなのだ。君は61歳だった。もう初老を過ぎていて君と呼ぶにはあまりにも年齢がいき過ぎている。だから君ではなくてしっかりした、苗字のついた名前に敬称もつけるべき成人だろう。とすると二人称ではなくて三人称になる。初老の男を二人称で呼ぶとしたら、呼ぶ人間は警察官か何か偉い人になる。お前と呼べる人間はかなり限定される。だから三人称とならざるを得ない。

仮に男を日暮さんとしよう。何となく初老っぽいから。下の名前は年男にしよう。日暮さんはひとり車の運転席にシートを倒して夏の空を眺めていた、としたら既にかなり暇な無職の男である。日暮さんと敬称で呼ぶ必要はここではないから、これからは日暮年男または単に日暮として書いていこう。

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェというナイジェリアのイボ族出身の女性作家を知っている人はどれくらいいるだろうか?私は「いまからはじめる世界文学アンソロジー」という世界文学短編集本で知った。野々市の野露読書会で彼女の「なにかが首の回りに」という作品を取り上げた。読書会で取り上げるのは短編でなくてはならないという縛りと、日本の小説ばかりでは小さくまとまってしまうという反発から、そのアンソロジーに出会った。一通り読んでみて各章に親切な読書案内もついて、まさに読書会向けの世界文学入門書となっていて貴重なテキストだと思えた。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェは日本では知られていないが、アメリカではTEDにも出演してかなりの人気作家だった。なんといっても若く美貌なのだ。少女の頃から物語を書いて空想していただけあって、文章は翻訳を通してでさえ秀逸な示唆に飛ぶ息づかいを感じさせるものだった。言葉が自在に彼女を作り上げていて滑らかで、美貌な身体にマッチしている。おそらくこの作品で彼女は自分を発見できたのだと思う。私もそういう小説を最初に書いてみたい。

人生に文学を!故郷を文学に!

話すときは即興でずっと継続されなければおかしなことになる。突然話すことを止めれば聞いている相手を驚かすことになる。相手はどんな風に理解して返してくるか、傾聴しなければならない。こちらは相手の言うことが聞き取れて理解できなければならない。改めて会話の難しさやそこで取り交わされている感情や論理の即興性に豊かなものを感じる。おそらく哲学の祖であるソクラテスの問答には止めどもないほどの叡智が飛び交っていることが想像される。それは実際に自分が司会者として講演者と聴衆者とを取り持つ経験をしてみて実感されたことだ。私は室生犀星講演会の主催者として質疑応答の場面を重要視していた。講演1時間に対して質疑応答は30分をかけた。先生の話をありがたがって終わる講演会を自分が主催するときには、改革したかった。それが幾分講演者の学芸員を困らせることにもなった。私自身が会場からの質問を促す意味もあって質問をした。室生犀星については例の小景異情その二の、故郷は遠きにありて思うものと歌った心境が、しばしば故郷に帰って故郷を愛でる心境に100%なるものかという疑問が私には根本的にあった。それをぶつけてみて講演者をしばし立ち往生させたのだった。遠き都(東京)に帰らばやと言っているのは、故郷にいてはダメになると思っているのだからである。おそらく犀星は長い時間をかけて、故郷を自分の支えに育て上げて絶対的な理想にしたのだと思う。故郷は文学的に再創造されたのだろう。

未熟者

何か職業を持って世の中に出る前の、未熟で何者でもない自由な男が誰からも相手にされない代わりに、現実と非現実の境目を一人で漂流する楽しみを見つけて遊んでいたあのころ。未だに記憶が残っていることに気づいて、老いに躊躇うこの頃に、黙って小躍りするように俺は蹲る。気ままな浮かれるような毎日が始まろうとしていた。大人にならなければならない時はまだ先にあったからこそ実現していた自由。しかし大人を既に過ぎて何年も経って社会に戻らなくてもよくなったら、そんな気恥ずかしい思いをことさら捨てる必要がなく、楽しめばいいと臆面もなく自分を許す。

おそらくそんな想念に耽る輩は、世間の眼は阿呆と見做すだろう。あるいはふうてんのチンピラか?だが俺はいたって見た目は普通の善良な小市民なのだ。

 

室生犀星講演会は42名参加の成功だった

以下、議事録を掲載します。

 

野々市市読書会連絡協議会 創立40周年記念

室生犀星文学講演会「室生犀星とふるさと」議事録
[ 開催概要 ]
 主催:野々市市読書会連絡協議会(共催:野々市市短歌協会 後援∶石川県読書会連絡協議会・野々市市文化協会・学びの杜ののいちカレード·図書館)
 日時・会場:令和8年9月13日 ・学びの杜ののいちカレード·図書館  録音記録に基づく(松林氏)
 講師:嶋田 亜砂子 氏(室生犀星記念館 学芸員)
 演題:「室生犀星とふるさと」
1. 開会および来賓祝辞
 野々市市文化協会 会長・中村 昭一 氏
 読書会連絡協議会の創立40周年に祝意を表明。文化協会も同じく40周年を迎え、記念のアフタヌーンコンサート(25日開催)の整理券配布状況など文化活動の盛況を報告。
 読書を通じて仲間と意見を交わし人生を豊かにしてきた40年の歩みに敬意を表し、今後の協議会の発展を祈念。
 石川県読書会連絡協議会 会長・村井 加代子 氏
 昭和61年(1986年)の発足以前、昭和39年(1964年)の「野々市町本町婦人読書会」結成(現・野々市市読書会連絡協議会)まで遡る野々市の読書活動の歴史(初代会長・故 北村倫子氏の記録等)を紹介。
 高齢化や生活様式の多様化といった現代の課題に触れつつ、多様な情報が氾濫する今こそ、人間としての生き方をじっくり考えさせてくれる書物と読書会の対話の場が重要であると強調。
 主催者挨拶(藤井 会長)
 歴代会長の歩みを受け継ぎ今後も活動を充実させていく決意を表明。犀星が俳句や詩から出発した背景に触れ、短歌協会の共催への謝意を述べた。
 
2. 記念講演「室生犀星とふるさと」(講師:嶋田 亜砂子 氏)
(1) 生い立ちと自伝的小説の世界
 ・不遇な幼少期と育ち
 明治22年(1889年)、旧加賀藩士・小畠弥左衛門吉種と女中との間に私生児として出生。生後間もなく犀川大橋のたもとにある雨宝院住職・室生真乗の内縁の妻(赤井ハツ)に引き取られ、血のつながらない環境で過酷な育てられ方をした。
 ・実母への思慕と、自らを卑屈にさせた境遇への「見返してやりたい」という負けん気(復讐の文学の原点)が形成された。
 ・自伝的作品の虚実
 作家デビュー作『幼年時代』、その後の『弄獅子(らぬさい)』『作家の手記』などで幼年期を描いたが、これらは事実の記録というより、自己の文学性を深めるために再構成された「自伝的小説」である。
 実家・小畠家との交流は後年に甥の小畠貞一(詩人)を介して深まったものであり、作品中の描写には創作や当時の願望も多分に含まれている。
(2) 文学形成の軌跡:短歌・俳句から自由な詩、そして小説へ
 金沢地方裁判所の給仕時代に俳句を覚え、10代で数百句を発表するなど少年俳人として頭角を現す。
 北原白秋に憧れて詩人を志し、20歳で上京。短い定型の中に感情を凝縮させる俳句から、文語・口語の自由な詩へ、そして散文・小説へと表現を拡大させた。内に溜め込んだエネルギーの解放が、後の旺盛な執筆力(多作)の源泉となった。
(3) ふるさととの二度の決定的な出会い
犀星の文学において「ふるさと・金沢」が大きな転換点をもたらした時期は2回存在する。
 ・第1の出会い:挫折からの帰郷と抒情詩の開花(大正初期)
 20歳で上京するも生活苦と挫折を味わい、明治45年(1912年)夏に帰郷。失意のなかで金沢の自然(犀川の蛇籠、雨降り坂、しぐれ等)に再会した。
 代表詩「小景異情 その二」(『抒情小曲集』所収)の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」は、金沢にいながらにして詠まれた詩である。
 ふるさとの風景に深く癒やされつつも、「このまま埋没してなるものか、何者かになるまで遠き都で闘うのだ」という強い決意と望郷の念が交錯する中で、独自の詩境を確立した。
 ・ 第2の出会い:関東大震災後の滞在と閑寂の美(大正12年〜14年)
 大正12年(1923年)の関東大震災直後に長女・朝子氏を連れて金沢へ戻り、約1年3か月滞在。
 初の随筆集『魚眠洞随筆』などを執筆。犀川の川魚(特にゴリの生態や食味)を細密に観察・描写した「川魚の記」に代表されるように、身辺や金沢の風土を慈しむ「閑寂の美」「静謐な境地」を開拓した。
 再上京後も「風景ヒステリー」と称して天徳院の寺領に草庵を建てて庭造りに情熱を傾けるなど、生涯にわたり金沢の風土に精神的な拠って立つ場を求めた。
 
3. 質疑応答および意見交換
 Q1. 映画化された『蜜のあわれ』の魅力と上映情報について(参加者)
 A1(嶋田氏):金沢三文豪キャンペーンの一環としてシネモンドで上映予定。晩年の犀星は自伝的写実にとどまらず、老作家と金魚の少女の対話を描いたシュールで現代的なファンタジー小説など、生涯挑戦を続け幅広い作風を残した。
 Q2. 幼少期の喧嘩っ早さや「負けん気」について(短歌協会·中西氏)
 A2(嶋田氏):義侠心が強く筋を通す性格であり、時に独善的と見られるほど強い自己の芯を持っていた。その激しさが作品の力強さを支えている。
 Q3. 幼少期の「復讐心」やコンプレックスは晩年どう決着したか(参加者)
 A3(嶋田氏):昭和10年代の私小説等までは世の理不尽に対する強い反発が色濃いが、晩年は自らの中で徐々に昇華・吸収していったと見られる。かつて蔑まれた母校・野町小学校の校歌作詞を引き受け、自身の幼少期の辛い記憶を滲ませつつもユーモアへと変えて受容していった過程に、その心の変化がうかがえる。
 Q4. 若い世代に室生犀星の魅力を一言で伝えるならどう表現すべきか(松林氏)
 A4(嶋田氏):犀星は多面的で一つの型に収まらないが、動植物や自然、あらゆる対象に対する「研ぎ澄まされた感覚の鋭さと深い共感性」こそが最大の魅力。
 所感(会場・松林氏·藤井氏):感性を磨く対象としてうってつけである。また、落第や不遇な境遇を学校教育ではなく自らの力で切り拓いた点、出世への執念やヤンキー的な反骨精神と繊細な寂しさを併せ持つ二面性は、現代の若者にも強く響くはずである。
 Q5. 「小景異情 その二」に見るふるさとへの屈折した感情(参加者)
 A5(嶋田氏):単なる手放しの郷愁ではなく、落ちぶれても帰るまいとする都への決意が詠まれている。しかし犀星の作品に通底しているのは、ふるさとを否定・断罪することではなく、自らを育んだ風土の美や生命への純粋な感動である。
 Q6. 信仰心・死生観および生活ぶりについて(堤氏)
 A6(嶋田氏):雨宝院で育ったため、本人は「無宗教」を標榜しながらも、庭に妻の墓を建てたり友の命日に語りかけたりと、死者や異界との交流が身体に染みついていた。金銭や不動産への執着は薄く、原稿料を骨董や庭石に投じるなど宵越しの金を持たない無頼な一面もあった。
 
4. 閉会
主催者より、犀星のふるさとへの複眼的な思いを通じて作品世界を捉え直す好機となった旨の総括がなされ、盛会のうちに閉会した。

君にはふるさとがあるか

君のふるさとは何処かと訊くと、出身地のことかと思うだろう。生まれた土地にそのまま就職して生活したぼくのような人間は、ふるさとに居続けた人間だろうか?いや、ぼくのような人間には、ふるさとという観念がそもそもないはずだ。都に出るという決断をしないまま、ずるずると安易に身近なところで就職してサラリーマン生活を続けたのだ。定年までその会社で働けば立派だと言われる向きもあるが、ぼくは大した決断をしないまま冒険に出ないままで終わってしまった。当然社内出世もしていない。これが立派な生き方だと言えるはずもない。

ぼくにふるさとの観念に近いものがあるとしたら、母方の実家の鍋谷という田舎だと思う。中学高校の日本史の授業には出てこない「山の衆」という村落共同体があって、稲作の農村とは違った、またチベットやアンデスに住む山岳民族とも違って、丘陵の森林地帯をつなぐ集落に住むの人々の歴史がずっとあって、静かに生活し続けていた。ぼくの母はそういう鄙びた集落の出である。その母を金沢の父が娶った。ある意味ぼくにとって金沢が都で、ふるさとが鍋谷なのかもしれない。ということは出生まで(生まれる以前の生から生まれるまで)の鍋谷がふるさとで、ずっと金沢の都育ちということになる。東京の都会育ちには及ばないが、幾分時代遅れの金沢のシティボーイだったと考えられるかもしれない。都会的な要素は確かに金沢にもある。金沢が東京とは違った形で国際化していると思う。経済的にではなく、いわば文学的に国際化できている。ロンドン、ダブリン、パリ、バルセロナ、モスクワ、ウィーン、ベルリン、上海とどこか文学的雰囲気で、つまり私の想像の中で金沢と繋がっているのだ。

 

向田邦子「鮒」読書会

昨日、石川読書グループ研究会の読書会に参加した。私よりやや先輩の女史ばかりの読書会なのだが、七尾の久川さんが毎月遠方から参加されていてまた読書家でもあって話が合ったので会員になった。今回は向田邦子の「鮒」を取り上げた。昭和56年五二歳の時、台湾で航空機事故で亡くなられた年に出版された短編小説である。知的な美人で頭の回転が早そうなイメージがあって私はこれまで縁がなく素通りの作家だった。中流家庭の普通の平和な日常に、ふとした異物として「鮒」が現れる。父の愛人が間遠になった相手の家庭に、別れの挨拶とばかりに本人が届けに来たものだった。しらばっくれる父親におっとりした性格の妻は深く追求しようとはせず、息子は鮒に興味を持ち父の届け出先探しに付き合う。十一の息子は子供ながらに父に寛容だった。年頃の姉は生理的に臭い鮒を嫌った。父と息子が鮒の持ち主が引っ越してしまったのを確認して帰宅してみると、鮒は死んでいた。「ママが洗剤でも入れたんじゃないの」と息子が追求し、父は一瞬愛人が霞ヶ浦に飛び込んだと想像する。これを作者は終始ユーモラスに展開させるのだが、久川さんの作家の出自の家庭環境が解き明かされると実は作家自身の私小説にも思えてくるほどの、中身の濃い物語との感想を持った。(ここでは向田自身は息子の視点)

 

ある緊張のために

この眠気を捻り潰してしまうために詩を書く

脳髄に巣食う弱気に喝を入れるコトバ

そんなチカラが実際にはある

だから詩なんていう必要はない

生理的に動きが言葉に促されるという非詩に

芸術などはいらない

そんな高尚なものはぼくには眠いのだ

決意とか韜晦とか断念とか飛躍とか

よく女からは覚悟を問われた

その強制力に昔は騙されそうになった

ぼくには無があった

君はずるいと言った

ハハーアナタハオトコニシットシテイル

歴史に形而上に戦闘に切腹に男は熱を持つ

 

ぼくは覚悟を問われた時一人じゃなかった

君には分からない種別の女がいて

静かにぼくを待っていた

砦に立つインディアンや自爆テロリストのように

ぼくは同胞を想って泣く

それはぼくに立ちはだかった女から

最も遠いものだ