昨年大晦日に書いたブログで何かが自分の中で起こった。妄想を言葉に綴って、エッセイのように書いてみた。それが少なくとも自分が読んで面白いと思った。読んで何やら心の中で弾いたものがあった。これって想像力というものが働いたのかもしれないと思った。それは今の段階では、書いた本人が感じてちょっと不思議な体験だったと思えただけだが、もっと上手く書くことができれば、自分以外の読者もその感覚を持つことができるかもしれない。あの中には自分の実体験が再現されている。それがリアルな感じを与えているんじゃないかと思う。まさに映画のスクリーンを見るようだったが、それは白昼夢というものかもしれない。あるいは一時的にぼくの意識が遊離した、病気の現象なのかもしれない。
埴谷雄高は、誰もが作家になれる可能性の根拠を夢を見ることにあると、珍しく講演を受けてしまった中で述べていた。(「鐘と遊星」所収の『想像力について』)夢の中で展開される映像の一部始終を研究してみれば、何か創造のヒントが得られそうである。自分の原型が現れていると考えられると言っていた。だからその夢をどこまでも深く掘っていけば何かの表現が可能になるのかもしれない。それを保証してくれるのはそこに快感があるからだと、自分の書いた時の感覚を振り返ってみて思う。
イタリック体で書いた部分は、マルクスが革命を思考し始める頃をイメージしていた。前世紀に起こった革命が大衆を抑圧するものに変質して失敗したから、最初に戻って再構築すべきだと大言壮語したものである。それをそこに収めると何か思想っぽく感じられる気がした。革命家に欠かせないのは理論であると再三再四埴谷は強調していた。