地域に読書クラブを作ろう

「ポスト団塊世代のブログ」からタイトルを変更しました。地域の読書会にこれから注力していきたいと思います。

読書会

災害における図書館の役割について_1

読書会連絡協議会という地域の読書会の団体がある。ぼくは今回の能登への地震と豪雨で被害に合われた読書会のことがずっと気になっていた。被害に合われた輪島市と珠洲市と内灘町にも読書会がもちろんある。これまでぼくも会員になっているこの団体の会員の…

読書会への誘い

年々本を読む人が減っていると調査結果が出ています。月に1冊も読まない人が6割を越えるようになりました。いつの間にか本を読むのがハードルの高いことになってしまいました。私たち読書会の人も興味のない本だとすぐに眠くなり読むのをやめてしまいます。…

ある日の野々市市読書会

令和4年8月27日(土)10:00~12:00 合同読書会 カミーノ第1学習室 テキスト:「家康、江戸を建てる」 ●何よりも表題が表すわかりやすく読み易い内容であったと思います。読み終えて、流れを変えるとともに流れに乗って江戸を建てた感が心に残…

文学の功利

文学が人の人生にとって利益がある部分を自己確認する。人の人生というより自分の人生とすべきかも知れない。文学についても様々な分類が可能だろう。ぼくの好みがある傾向をもたらすのは当然ではあるだろうが、できるだけ「今」の日本の状況を自分なりに踏…

「世界で最も美しい溺れびと」読書会

読書後の感想を読書会用に前もって書いていた頃、書くことを習慣化しようという思いもあって結構頑張って書いていたなぁと、あの頃から月日の経ったのを感じた。読書会はもう8年も続いている。今日午後から8人の仲間で近くの公民館で開く。取り上げた本は、…

チヌア・アチェベ「終わりの始まり」読書会

今、今月の読書会を終えて帰ってきたところだ。だんだん自分の喋りがうまく進まないようになった気がする。うまく話せているという自覚がない。おそらく聞く方は聞きにくいことだろうと思う。書く方はスラスラ行くのに、話す方はまるで悪路を運転するように…

「白い犬とブランコ」読書会 3

「本を読む仲間の集い」という伝統的な地域読書会で、ぼくは莫言の「白い犬とブランコ」の「助言者」役として、つまり主催者側の一人として活動した。参加者は17名いた。目標は楽しく読んだ感想を述べ合うこととし、主催者側が「正しい」読みを聞いてもらう…

「白い犬とブランコ」読書会 2

あらすじを書くのは難しい。あまり詳しく書くとネタバレになる。ポイントとなる部分を書いてもネタバレになりそうだ。そこでこのブログの読者が読んでみたくなるように誘うつもりで書いてみる。 とにかく「暖」は勝気で大胆で、主人公や一般常識の凡人を凌駕…

「白い犬とブランコ」読書会 1

今度の日曜日、金沢のこども図書館で、県の読連協の「本を読む仲間の集い」がある。私は3グループの一つの読書会の「助言者」という資格で参加する。課題図書は中国の現代作家莫言の「白い犬とブランコ」である。選書が私なので「助言者」役を引き受けざる…

講演会を主催してつかんだこと

明後日講演会を開く。ぼくが会長をしている読書会連絡協議会が主催して、ぼくは司会進行をしなくてはならない。これまで3回やって今回4回目なので、要領を掴んでいるかといえば全くそういうわけではない。これまでは講師の先生にほとんどをお任せしていれ…

読書会と読み聞かせ会

ブログという公開の日記でぼくには、内と外の境界を曖昧にしておきたいという自己表現上のこだわりがある。内に隠すことと外に出してしまいたいことがはっきり分かれない所に興味があるのかも知れない。いつも躊躇の状態のままダラダラと流れる意識に興味が…

自分の郷土が舞台の時代小説

たかが趣味の読書会サークル活動に、自分を向上させようとするまで打ち込まなくていいものよと思うのだが、趣味なだけにかえって拘ってしまうのかもしれない。自分の生き方が関わってくると考えるといい加減に出来ないのだ。文学散歩といった楽しみを小説を…

とことん自分に感ける

このブログ空間、何を書いてもどのように書いてもOKという、書いた文字がそのままフォントに再現されて目に前に現れるという仕組みに、今更ながら便利なツールが出来たものだと感心する。このお陰でぼくはいつでも好きな時に思うままを綴ることができる。そ…

公共としての読書

読書の公共性は市民として最低限備えているべき教養と考えてみる。例えば、太平洋戦争の終戦日は、1945年、昭和20年8月15日であること。広島への原爆投下日は、8月6日、長崎へのそれは、8月9日であること。沖縄慰霊の日は6月23日。これ位の日は最低限記憶し…

公的な読書会の課題本リスト案

地域の公的な読書会をつくるという私の後期人生目標を具体化するのが、このブログの中心的なテーマになりつつある。とにかく毎日その目標のことを考えて、具体化のために思いつくことを書いていきたい。今日は公的に読むべき小説のリストを作成してみたい。…

文学読書クラブをつくる

地域の公的な読書会を設立したいという目標を作ったが、読書会といっても文学でなければならないし、文学は純文学ではならないことが、目標を吟味していると明らかになった。定年退職後に知的好奇心が衰えてない人が求めるのは、野々市市みたいな地方都市だ…

計画を達成する前提のはなし

ぼくの残りの生涯を賭けた目標の達成計画の中で、地域の(公的な)読書会を設立というのがある。あるというより最近決めたばかりなのであるが。この計画にはさまざまな問題が埋まっていることが予想される。読むべき本の選定をどのように行うかなどはすぐ考…

のんびりダラダラから計画的に実行するへ

今私は野々市市の読書会に属している。いちメンバーだったのが会長になって2年経った。会長となると県の読書会連絡協議会の副会長に、会長から請われて昨年なった。一人で本を読んでいるのと、読書会仲間で読んでいるのとどちらがいいか、ここで突き詰めて考…

本を読まない若者へ

若者の読書離れがどんどん進行しているらしい。読書の時間は孤独な時間だから、読書離れは孤独に耐えられない若者が増えている、と捉えられると思う。ゲームやyoutubeや漫画や映画などの娯楽などの時間も一人だが、その時間は孤独なのではないだろう。自分と…

読者と作者

一つの小説を読み感想を手紙に書いて小説家に送ったとしよう。その小説はぼくにとって等身大の主人公が登場し、その主人公の人生は自分が送ってきた人生のようであり、小説を読むことが自分の人生を確実に生きた歴史として文字に再生産されたと、手紙に書い…

公共的な価値のある小説

自分のためにではなく、期せずして私という人間を知って同じ世界と時代を生きることになった人々のために、自分のできることをする生き方を模索している。それは何かを考えるだけでも退屈ですぐに飽きてしまう私を何がしか働かせることになる。70年生きてき…

「姫ヶ生水」を読んで

第33回公開文学講演会 主人公松の姉、美伊子が昭和6年(1931年)に37歳で亡くなり、その時松は32歳でしたから、松の生まれは1899年(明治32年)になるだろうか。私の母が昭和4年(1929年)生まれなので、松は私の母の30歳年輩になる。だから松は私にとって母…

「姫ヶ生水」伝説講演会に向けて

ここには正直に書くことにしている。正直の中には明確に、ありのままに、も含む。そして、できるだけ基の方から書きたい。基とは根本の欲求のことだ。今書こうとしていることの根本にある欲求は、かねてから持っていた書くことについての探究心に関わってい…

サルトル作「悪魔と神」読書会

友人と二人で喫茶「ローレンス」で5回目の読書会をする。選んだ本はこれまで「星の王子さま」「デミアン」「日常生活の冒険」「テンペスト」と続き、今回は「悪魔と神」である。「テンペスト」で初めて戯曲を読み、観客と共有する舞台で演じられることを前…

講演依頼のための手紙

前略 もうこの歳になると先のことはどうなるか分からないと、この前のお手紙にありましたが、今年は元旦から突然の大きな地震で幕開けしました。いかがでしたでしょうか、お怪我はありませんでしたでしょうか。読書会のメンバーではご高齢のお婆ちゃんが多く…

講演依頼のためのノート2

松村昌子さま あなたを先生と電話でお呼びした時、とんでもないと強く否定されたのを最初は謙遜と受け取っておりました。しかしそれは謙遜などではなく本当に自分には相応しくないと懇願したものだと、作品「姫ヶ生水」を読み通してから、その奇跡のような成…

本を読むことの原点に向かって

この投稿は今日だけに終わらず継続して書き足していくことにする。まず初めにこのタイトルで書いていきたいことは、地域読書会の創生についてだ。現在は公民館サークルの一つでしかないが、いかに公共性のある読書会として生まれ変われるかを追求したい。野…

講演依頼のためのノート1

今度野々市市の読書会主催で講演会を開くことになって、講師に講演依頼の手紙を出そうと思っている。講師は83歳で初めて小説を書き、昨年金沢市の市民文学賞を受賞された松村昌子さんで、電話をして既に講師を引き受けて頂いている。ただ、どんな講演をして…

私と読書の関係

定年後地域にどう関わるかは、定年退職者の共通のテーマになると思う。ある人は町内会の役を自ら引き受ける。町会長ともなれば中々忙しく、また上手く地域に溶け込める方法になる。私の場合は地域の公民館サークルに読書会があり、内容が意外にそこそこのレ…

サルトル著「自由への道」第一部を読む

かつて有名であったが今時絶対読まれないだろうという小説をぼくは好んで読むことにしている。野間宏著「青年の環」がそうだったし、ロマンロランの「ジャンクリストフ」がそうだったし、今回のサルトル著「自由への道」もそうだろう。とにかく今時の人はこ…