72歳になろうとしているのに今さら気づくのが遅すぎるのだが、話すことが第一で書くことは第二だというのが当たり前のことだった。ぼくは話すことが苦手なあまり書くことに注力してきた。苦手なことはできるだけ避けて得意なことの方を伸ばそうとしてきた。書く方は自分の思いのままに出来るようになったが、話す方は場の限定と言葉の選び方に制約があり、自由な自分のままにというわけにはいかなくなる。だからその枠からはみ出るのではないかと緊張する。場違いな、とぼけたことを口走らないか不安になる。
明日県の読書会連絡協議会総会の閉会挨拶をすることになっていて、苦手意識が高じてくる。そこでその挨拶を前もってここに書いておくことにする。挨拶には決まった形式がある。形式はその団体が運用し団体の構成員が共有して、既になじみになっている必要がある。新しい形式は必要ない。このことがある意味私が苦手を感じる根拠になっているかもしれない。新しさが必要ないならば私はいつもの人のように話さなければならないからだ。そこに不自由を感じる。
そもそも挨拶とは何か?挨拶の「挨」は相手に近づくこと、「拶」は相手にせまることなどを意味する、とググッてみるとあった。語源は禅から来ているということだった。相手との距離を縮めて、私はあなたの敵ではありませんということを伝えるものという定義があるらしい。そうか、禅ならば私の得意分野だ。
自分を出してもいいのかもしれない。何も馴染みの人になろうとお願いしなくてもいいのかもしれない。読書会では仲間が選んだ本を読んで自分の感想を話す。総会に出て記念講演を聞いて自分なりの感想を閉会挨拶として述べればいいのだ。いつもやっている通りにやればいいのだ。そう了解すると苦手意識を克服できそうだ。